生と死は紙一重

2009年06月17日

Posted by パスター菅野 at 23:35│Comments(2)
私は、中学生時代から大のプロレスファンでした。真剣に将来プロレスの選手になろうと考えていました。ですから、毎日がその夢に向かっての時間ですから、出会う同性の友達みんなにプロレス技をかけました。「かんのには気をつけろ!プロレス技をかけられるぞ!」と言われていました。

プロレスが好きだったというのは、やはりそこに魅力的なプロレスラーがいたからです。しかし、アントニオ猪木は引退し、ジャイアント馬場、アンドレ・ザジャイアント、ジャンボ鶴田、橋本真也・・・。そして、4日前には、二代目タイガーマスクでもあった三沢光晴も亡くなった。

その日は、「三沢光晴バックドロップを受けて心配停止」というニュースを見て、祈るような気持ちでいた。そして、そのニュースが「死亡」 に変わった瞬間、言葉が出なかった。

クリスチャンになって、私の死生観は大きく変わった。死は決して終わりではない、天国への入り口である。しかし、この世では、もう二度と交流することが出来ない。この現実は変わらない。

私が小学3年生の時に、家の近くの無人踏切を数mの電車の前を横切ったことがある。もう死んだ、と思ったものです。最近、私と似た状況で無人踏切を渡った小学5年生が電車と衝突して脳挫傷で亡くなった。

あの小学3年生の時の出来事は、思い出すとうなされて眠れなくなる程の衝撃だったので、親にも誰にも話せなかったのです。死と生はまさに、紙の表と裏のように感じた。今でも思い出すと不思議な体験だと思います。

三沢光晴は、華麗な空中殺法を多用したレスラーです。私は、その時の画像をインターネットで見ようとしましたが、どうしても見ることが出来ないので推測ですが、おそらく、相手の斉藤選手のかけたバックドロップを後ろに一回転してかわそうとして、頭から着地してしまって、それが原因で亡くなってしまったのではないかと思います。

三沢さんは、NOAH(旧約聖書のノアの箱舟から来ていると思いますが)の社長として、非常に多くの心労があったようです。疲れても、体調が悪くても試合を休むわけには行かなかったと思います。また、地上波のプロレス中継が終了してしまったことや、経済的に大変だったのではないかと思います。

今、シリーズで書いている星野富弘さんは、高校の体育教師をしていて、その授業中の模範演技に失敗して、頭から着地して、首から下が動かなくなりました。なぜ星野さんは紙一重で命が助かり、三沢さんは紙一重で亡くなってしまったのか、そんなことを考えたりもします。

私が無人踏切を自転車で電車の直前を渡ったのに、かすり傷一つなかったのに、小学5年生が見通しのいい無人踏切を自転車で電車の直前を渡って衝突して亡くなってしまったのか。

しかし、その答えは私たち人間側にはないと思います。神だけが死っておられると思います。

ある人は、因果応報や運命論を展開するかも知れませんが、私は、そんなに簡単な問題ではないと思います。

私は、純粋に「神に守られた」と信じて感謝をしています。しかし、紙一重で亡くなった人が神に守られなかったのか? そんなことは絶対に言えません。

ただ心を痛めます。なぜ私は守られて、その子は守られなかったのか? 答えはありませんが、私は、この命は不思議な方法で守られたことにただ感謝をし、これからの人生、悔いの残らない生き方をして行きたいと思います。

そして、この体の死が決定的な終わりではないことを信じています。

人類に死をもたらしたのは、アダムとエバ(イブ)の罪です。そして、その種を持った子々孫々は、罪人としてこの世に誕生し続けています。りんごの種をまいたらりんごしか実のらないように、罪人の種からは罪人しか誕生できません。

「罪の支払う報酬は死である。」とバイブルは語ります。それは、エバ(イブ)を罪に誘惑した悪魔と同じ運命を辿ることになります。

しかし、2009年前のクリスマスの日に、神の一人子イエス・キリストが人間の姿を取って生まれ、私たち全人類の罪の身代わりに十字架で処刑され死なれましたが、三日目によみがえりました。「私はよみがえりであり、命です。私を信じる者はたとい死んでも生きる。あなたはこれを信じるか?」と、キリストは語りました。

救い、復活、永遠の命は、ただ、このイエス・キリストの十字架と復活の救いを信じるだけなのです。世界の約20億人(地球の人口の三人に一人)はこれを信じて救われました。真面目だから、立派なクリスチャンだからではないのです。この救いを信じるだけで、ただこれだけで救われるのです。

この日記を読んで下さっているあなたは、「そんな馬鹿な、そんなうまい話があるだろうか?」と感じるかも知れません。それでもいいです。そして、そう感じる方が自然なのかも知れません。

しかし、保険と思って信じてみてもいいのではないでしょうか? 傷害保険、トラベル保険、~保険は、万が一のことを考えて入ります。ほとんどの確立で保険を使うことはないと思いますが、万が一を考えてのことです。

この救いも、保険と同じように考えて、クリスマスのプレゼントキリストの救いを受け取りませんか? それはただこの祈りを心からささげて下さるだけで十分です。

救いを受けてこそ、天国での再会があります。永遠の命が与えられ、過去と現在と未来の救いが与えられます。

あなたが死んだ時、神の前に立って「あの時信じておけば良かった。なぜかんのは教えてくれなかったのか!?」と言われたくありません。

良かったら一緒にお祈りをして下さい。

『神様、私は、天地を創造し、全知全能のあなたに祈ります。私は罪人です。私を赦して下さい。私の罪のために十字架で死に、墓に葬られ、よみに下り、三日目によみがえったイエス・キリストを私の救い主として心の中心にお迎え致します。私を救って下さい。私を救って下さりありがとうございます。天国に行く日まで、私を守り、導いて下さい。イエス。キリストのお名前でお祈りします。アーメン。』

今日は、生と死についてふと日記を書きました。読んで下さりありがとうございます。すばらしい夜、すばらしい一日をお過ごしください。





この記事へのコメント
おはようございます。ゲットと申します。はじめまして。
Qちゃんの伝道部屋でカンちゃんのことを知りました。
どうぞ、よろしくお願いします。
Posted by ゲット at 2009年09月17日 08:12
ゲットさん

コメントうれしいです。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
Posted by パスター菅野パスター菅野 at 2009年09月17日 08:21
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