› パスター菅野(かんの牧師)と楽しく話そう › 8月3日 本日の一言メッセージ
〈8/3(火)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22178 (写真入り記事)
「イエス様と共に生きる」
復活のイエス様と出会い、聖霊に満たされる前のペテロは、主のために働く人でした。イエス様から「サタンよ、退け!」と叱られた時のペテロは、自分の思いと正義感が先走っていて、イエス様をそっちのけにしていました。
使徒パウロは、キリストと共に十字架にかけられて死んだことを自覚して、主と共に働く働き人に変わりました。
クリスチャンの人生において、大切なのは、イエス様と共に生きて働くことです。
べタニヤのマリヤがイエス様からほめられたのは、ただじっと座って何もしなかったからではありません。それをイエス様がほめたのではありません。私たちはやるべきことがあればそれをやらなければなりません。
マリヤがほめられたのは、イエス様の足元に座り、イエス様の声を聞いたからです。
マルタは、接待の仕事をしたから叱られたのではなく、イエス様そっちのけで仕事をし、孤軍奮闘してイエス様の御声を聞くことをしなかったからです。
私たちが今日大切にすべきことは、イエス様の声を聴くこと、そして、イエス様と共に生きることです。仮に良いことをしても、イエス様そっちのけで孤軍奮闘では罪なのです。
罪とは神から離れた状態を指すからです。
今日すべてのことをイエス様と共に行い、すべての時間をイエス様と過ごし、絶えず祈りながら生きていきましょう。
【動画メッセージ】
「
【7/25(日)大久保駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/8tXItdgbnbo
【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY
【8/1(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bgfZZaZwiiI (朝礼拝)
「編集後記的メッセージ 『罪を犯さなくなる方法』」
人が持っている罪の性質の特徴は、罪に対して甘く、神に対して心を閉ざすことにあります。
コロナ対策に成功していたと言われる「台湾」にコロナの感染拡大をさせた原因の1つは、国際線のパイロットに対して隔離期間を3日に短縮したことにあると言われます。
日本では、オリンピックが開幕し、オリンピック関係者には特例処置がなされ、隔離が免除されています。オリンピック関係者は100%コロナ陰性であるならばそれで良いですが、現在の頃なの感染爆発の一因となっているだろうと思います。
人は、アダムとエバ以来、罪の性質を持ってこの地上に生まれて来ました。
人は生まれつき、罪に甘く、神に心を閉ざしているのです。
コロナを水際で防ぎたければ、しっかりそれなりの期間の隔離をし、PCR検査を繰り返し、陰性が確認されてはじめて自由に生活や活動ができるようにするならば、コロナの感染はここまで拡大しなかったはずです。
罪の性質を隔離するかのように、十字架につけて死に至らしめ、罪が延命を求めても、それに答え、餌を与えてはいけません。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)。
第一に、神に従うこと。それは罪に背を向け、罪の性質を十字架につけていることを見求めることです。
第二に、その上で悪魔に立ち向かうことです。
悪魔は、欲望に訴えて罠を仕掛けています。何かに例えるなら、ゴキブリホイホイです。
おいしそうな匂いがするので、ゴキブリはそれに誘われて入って来ます。そうすると、粘着テープに手足が捕えられて、二度とそこから出られません。
罪の力はそれほど強く人を捕らえてしまうのです。
罪の誘惑に従うなら、ゴキブリが罠にはまって捕まってしまうように、罪の罪責感や罰を受け、さらに、その蒔いたものを刈り取ることになります。
百害あって一利なしの罪から離れたいと願い、祈りましょう。そして、神に従う人生を選び、求めていきましょう。
人には良心があるので、罪を犯そうとした瞬間から罪責感を感じるようにできています。
しかし、罪を犯すと最初は痛みが伴いますが、痛みは段々麻痺して、罪を犯しても心が痛まなくなっていきます。
その痛みに対して、心理学は痛みを取り除こうとしまう。好きになれない自分を好きになろうとします。
しかし、それは間違っています。
痛みは罪から人を立ち返らせようとする神の使者です。好きになれない自分を無理に好きになろうとするのではなく、好きになれない原因を解決することが必要です。
罪を認め、悔い改めることです。
そして、罪の延命の叫びを否認することです。
しかし、罪を犯してしまったとしたら、また、その時点で罪を認め、悔い改めることです。
「だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです」(第一ヨハネ3:6)。
キリストの内にとどまる人は、「絶対に罪を犯せなくなる」。「一度たりとも罪を犯さない」ということではなく、罪を犯しても、繰り返し悔い改めますので、罪を犯せなくなっていくのです。
そして、罪を犯す瞬間には、キリストを見ていません。欲望と罪と悪魔を見ているのです。だから罪を犯してしまうのです。
キリストから目を離さないことです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)。
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22178 (写真入り記事)
「イエス様と共に生きる」
復活のイエス様と出会い、聖霊に満たされる前のペテロは、主のために働く人でした。イエス様から「サタンよ、退け!」と叱られた時のペテロは、自分の思いと正義感が先走っていて、イエス様をそっちのけにしていました。
使徒パウロは、キリストと共に十字架にかけられて死んだことを自覚して、主と共に働く働き人に変わりました。
クリスチャンの人生において、大切なのは、イエス様と共に生きて働くことです。
べタニヤのマリヤがイエス様からほめられたのは、ただじっと座って何もしなかったからではありません。それをイエス様がほめたのではありません。私たちはやるべきことがあればそれをやらなければなりません。
マリヤがほめられたのは、イエス様の足元に座り、イエス様の声を聞いたからです。
マルタは、接待の仕事をしたから叱られたのではなく、イエス様そっちのけで仕事をし、孤軍奮闘してイエス様の御声を聞くことをしなかったからです。
私たちが今日大切にすべきことは、イエス様の声を聴くこと、そして、イエス様と共に生きることです。仮に良いことをしても、イエス様そっちのけで孤軍奮闘では罪なのです。
罪とは神から離れた状態を指すからです。
今日すべてのことをイエス様と共に行い、すべての時間をイエス様と過ごし、絶えず祈りながら生きていきましょう。
【動画メッセージ】
「
【7/25(日)大久保駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/8tXItdgbnbo
【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY
【8/1(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bgfZZaZwiiI (朝礼拝)
「編集後記的メッセージ 『罪を犯さなくなる方法』」
人が持っている罪の性質の特徴は、罪に対して甘く、神に対して心を閉ざすことにあります。
コロナ対策に成功していたと言われる「台湾」にコロナの感染拡大をさせた原因の1つは、国際線のパイロットに対して隔離期間を3日に短縮したことにあると言われます。
日本では、オリンピックが開幕し、オリンピック関係者には特例処置がなされ、隔離が免除されています。オリンピック関係者は100%コロナ陰性であるならばそれで良いですが、現在の頃なの感染爆発の一因となっているだろうと思います。
人は、アダムとエバ以来、罪の性質を持ってこの地上に生まれて来ました。
人は生まれつき、罪に甘く、神に心を閉ざしているのです。
コロナを水際で防ぎたければ、しっかりそれなりの期間の隔離をし、PCR検査を繰り返し、陰性が確認されてはじめて自由に生活や活動ができるようにするならば、コロナの感染はここまで拡大しなかったはずです。
罪の性質を隔離するかのように、十字架につけて死に至らしめ、罪が延命を求めても、それに答え、餌を与えてはいけません。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)。
第一に、神に従うこと。それは罪に背を向け、罪の性質を十字架につけていることを見求めることです。
第二に、その上で悪魔に立ち向かうことです。
悪魔は、欲望に訴えて罠を仕掛けています。何かに例えるなら、ゴキブリホイホイです。
おいしそうな匂いがするので、ゴキブリはそれに誘われて入って来ます。そうすると、粘着テープに手足が捕えられて、二度とそこから出られません。
罪の力はそれほど強く人を捕らえてしまうのです。
罪の誘惑に従うなら、ゴキブリが罠にはまって捕まってしまうように、罪の罪責感や罰を受け、さらに、その蒔いたものを刈り取ることになります。
百害あって一利なしの罪から離れたいと願い、祈りましょう。そして、神に従う人生を選び、求めていきましょう。
人には良心があるので、罪を犯そうとした瞬間から罪責感を感じるようにできています。
しかし、罪を犯すと最初は痛みが伴いますが、痛みは段々麻痺して、罪を犯しても心が痛まなくなっていきます。
その痛みに対して、心理学は痛みを取り除こうとしまう。好きになれない自分を好きになろうとします。
しかし、それは間違っています。
痛みは罪から人を立ち返らせようとする神の使者です。好きになれない自分を無理に好きになろうとするのではなく、好きになれない原因を解決することが必要です。
罪を認め、悔い改めることです。
そして、罪の延命の叫びを否認することです。
しかし、罪を犯してしまったとしたら、また、その時点で罪を認め、悔い改めることです。
「だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです」(第一ヨハネ3:6)。
キリストの内にとどまる人は、「絶対に罪を犯せなくなる」。「一度たりとも罪を犯さない」ということではなく、罪を犯しても、繰り返し悔い改めますので、罪を犯せなくなっていくのです。
そして、罪を犯す瞬間には、キリストを見ていません。欲望と罪と悪魔を見ているのです。だから罪を犯してしまうのです。
キリストから目を離さないことです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。