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7月22日 本日一言メッセージ

2021年07月22日

Posted by パスター菅野 at 06:39│Comments(0)
💫〈7/22(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22165 (写真入り記事)

❣️「しっかりした妻は愛される」

聖書は、「夫は妻を愛しなさい」と教えます。しかし、妻に対しては、「夫を愛しなさい」ではなく、「夫に従いなさい」と教えます。

それは、夫は家庭の長として従ってもらうことが必要だし、それが深いニーズだからです。

しかし、仮に、従わない妻であったとしても、夫は妻を愛することが教えられていることを忘れないでいたいものです。そうでないと、夫は妻を裁くことになってしまいます。

夫に従う妻はかわいらしく見えるものです。自然に愛する心が湧き上がります。

ある家庭での実際のやり取りです。

夫は妻に、「明日ゴルフしに行こうと思うんだ」と言いますと、妻は、「コロナでこんな騒ぎが起こっているのに、よく平気でゴルフになんか行けるものね。(少し古い話題ですが)石田純一は沖縄でゴルフをしている時にコロナで倒れたのよ。なに考えているのよ!」と反論しました。夫は不機嫌になりました。

これは、この時期にゴルフをすることが正しいかどうかの問題ではなく、問題となっているのは、「どちらがリーダーか!?」と言う主導権争いがなされて喧嘩になっているのです。

奥さんには、リーダーシップがあり、子どもたちの学校ではPTA会長もしています。言っていることは正しく正論です。

しかし、聖書が教える「妻たちよ。主に従うように、あなたの夫に従いなさい」と言う教えを無視しています。

このやり取りを見ている子どもたちは、お父さんを軽く見て、見下すようになる可能性があります。

夫をリーダーとして認められる奥さんは、夫から愛され、かわいがられます。その家庭は祝福されます。

良い妻とは、夫に従い仕えられる人です。

箴言31章には、しっかりした妻が何よりの祝福であると教えます。

女性であるならば、素敵な結婚をして、そんな妻になりたいと思わないでしょうか。また、男性であれば、そんな素敵な女性と結婚をして、家庭を築きたいと思わないでしょうか。

「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない」(箴言31章10~12節)。

そんな幸せな家庭、幸せな人間関係は、神様を礼拝するところから始まります。オンラインで神様を礼拝しましょう。素敵な一日でありますように。


🧡【動画メッセージ】
「人を助けることで助けられる」
https://youtu.be/7iMX4JW--OU


❤️【東中野駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/BjKsMHUqykQ (引き)
https://youtu.be/VXJVuVE-r9E (寄り)


💚【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


💜【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/RClw6b598OA


💛【四十代最後のメッセージ】(7月限定)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM


💙【TV番組 説教収録(限定公開)】
https://youtu.be/6Lli2UxiCwk (説教②)


💘「編集後記的メッセージ 『人を生かす心のごはん』」

聖書は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」と教えます。

ここで言う「パン」とは、文字通りのパンのことだけを言っているのではありません。

「パンだけではなく、ジャムもバターも具材も必要です」という意味ではありません。

「パン」とは、食事を代表しています。さらには、衣食住などの生活必需品全般と考えていいでしょう。

世の中は、神なしで生きられるかのように考え、そういう風潮が流れています。

先日、神田駅で路傍伝道をしていると、「右翼」を自称する人から、「申し訳ないけれど、今の日本には神は必要ない」と面と向かって言われました。

私はとっさに、「そう感じているかも知れませんが、実は、神なしに人は生きられないのです」と言いました。

「衣食住」が満たされていても、神との関係なしには人は生きていけないのです。

ある時、生まれたばかりの赤ちゃんに何も話しかけないで、第一声何を語るかという実験がなされました。

その赤ちゃんには、無言のロボットがミルクをやり、衣食住は満たされていましたが、母親の愛が与えられなかったため、思うように成長しませんでした。最後は、孤独に打ち震えるかのようにして、亡くなってしまったそうです。

このようなことをお伝えすると、私が何を伝えたいかに目を向けるのではなく、「それはひどい話だ!」と反応される方が必ずいらっしゃいますが、それが悪いと言っているのではありませんが、私が伝えたいことは、「人はパンだけでは生きられない」ということです。

つまり、衣食住が必要なことは言うまでもありませんが、神の言葉なしに人は生きられないのです。

「自称右翼の人」は、「今の日本は素晴らしい。神なんかに頼らなくても日本人の民度、平和、発展を見てご覧なさい」と言いたいのでしょう。

しかし、こんな平和で、栄えている国において、自殺者は後を絶ちません。

精神的に病む人も多くいます。

そして、新型コロナ、風水害、地震などの前に、人は成す術もありません。

聖書は、「はじめに神が、天と地を創造された」と語ります。

神は無から有を創造されました。天と地(全宇宙)と、その中に住むものを造られ、三位一体のご自身に似せて人を造られました。

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように』。神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(創世記1:26~27)。

神と人との関係は、創造者と被造物の関係なのです。

神なしに、人は存在することすらできないのです。そして、神によって生かされているのです。それなのに、人は愚かな存在だなと痛感します。神なしに生きていて、これからも生き続けられると錯覚しているのです。

神は、究極の原因者であり、神なしには、何も存在しないし、神なしには生きていけないのです。

聖書は、その事実を、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」と語るのです。

今朝も、聖書を開いて、心のごはんである聖書の言葉を読み、心で咀嚼し、食べ、心の血肉とし、いのちとして生きていきましょう。

素敵な1日でありますように。




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